2013/06/07

赤い靴/Salley




アイリッシュ、どこかの音楽 

ポップスは作品の出来不出来とは別として、流行音楽という面は確実に存在していて、大量に流布されるための一定の傾向を持つ。それは大まかに言うと、何か新しい感じ、だろう。そうした「演出」の一つに地域性を持たせるということがあるように(一時期の沖縄とか)見えるが、実際にポップスの中で地域性はどれほど立ち現れているだろうか。

Salleyは公式のバイオグラフィーに明記しているところには「アイリッシュ感」を持つユニットであり(ユニット名もアイルランド民謡からの引用とのこと)、これはおそらくJ-POPでは初登場となる地域だ。アイリッシュをジグのような飛び跳ねるようなリズムを特徴としたカントリー・ミュージック、と捉えたとき、実情、今回の『赤い靴』に重なる点を見出すのは難しいけれども。とはいえ、しなやかに伸びる歌声とハイハット四つ打ち気味の乗りやすいバンドサウンドはキャッチーであり、ポップスとして十分に完成されている。

そもそも『赤い靴』というタイトルは同名のアンデルセン童話に由来するとのことで、地域性自体当初から輻輳している。こうした状態は、ポップスが流通を優先するために地域性に対して持つ緩さを示しているように思う。地域性は代々ポップス/歌謡曲の世界においてゆるやかに立ち込めて何かしらのムードを形成する。それは『赤い靴』においても同様だ。


呪いとしての夢に誇りを持つこと

タイトルは同名のアンデルセンの童話から。引用元における赤い靴が「罰としての呪い」の象徴だったのに対して、本作における赤い靴は「夢への執着」のメタファーとなっている。

恋人への憧れから始めた活動に、いつからか自分の方がのめり込むようになり、その恋人を含めた周囲の人間が次第に夢の道から降りていくことに戸惑いを感じながらも、夢を諦める(=踊るのを止める)ことを、この主人公はできなくなっている。そう。その実現が結局は競争原理に依って成立する社会でなされる以上、夢に孤独はつきものだ。その宿り主に害をもたらし、容易には免れえないという意味で、夢と呪いはよく似ている。

しかし、そもそも夢を追い続けたくても、自己の才能への見切りと生活の必要によってそう出来ない人が圧倒的多数である世の中で、それでも夢を追っていられる自分を、主人公は誇りに思ってもいる。BPM130の四つ打ちビートに、ディレイを多用したギターや軽やかな手拍子が響く爽やかな曲調と、アンヴィバレンスな感情(戸惑い)を見せるようで、実はどこまでも誇らしげなヴォーカルから何よりも伝わってくるのは、そのプライドの方だ。


呪いとしての夢に誇りを持つこと。と言うと、ちょっと捻くれた感じがするかも知れないが、実際その通り。もっと言ってしまえば、結構意地が悪そうだ。けど、気合いは入ってる(ドスが利いてる。とも)。まあ、前言を翻すようだが、競争ばかりが世界ではない。もっと気楽に構えてもいいんだぜ。という気もするが、緩みっぱなしの僕が言っても説得力ないか。