2013/07/26

友達より大事な人/剛力彩芽




プロトタイプのデビュー作  


テレビにドラマに映画にとマルチに活動している剛力彩芽のCDデビューとなるシングル。四つ打ちで縦ノリのメロディアスなサビを持つポップ・ソング。一方そのサビを強調する意図もあってかAメロはベースの表裏がフレーズの途中でひっくり返って突っかかるようなリズムになっている。ベースとボーカルだけをメインにしていることもありユニークだがやや心もとない気配も。  

ボーカルは普段の彼女の声と同様に中性的。率直に、歌唱力で勝負するタイプではないけれども、それ自体は現在のアイドル・ブームを見ても分かる通り、現在ではキャラとか個性として捉えられるべきだろう。ただ、問題なのは彼女の他の仕事と同様に楽曲が無難さへ収斂させられているように見える点だ。例えば「友達よりも大切な人」というタイトル、親友に対する思いを表す歌と分かりやすいがクリシェ的な言葉遣い、こうしたものがいちいち彼女の歌からキャラを奪って、印象をのっぺりとさせてしまう。ちゃんと成立しているポップスであり、楽曲的な面白さも持っているが方向性が定まらず散漫な印象。 

ただし、PVで彼女が見せるダンスはきれきれ。今後、ダンスを糸口に映像とかパフォーマンスを含めた中でどう活動していくかには興味がある。




人口的エクストリーム


ひたすらウェルメイドなサウンドが主流だった時代への反動として、あえて音を整理せずダーティなまま提示するのが最近のJ-POPのトレンド。この曲の、BPM140のイーブン・キックに、オーケストラル・ヒッツ、カノン風のピアノのメロディ、スラップベースなどのポップスのクリシェを適当に盛り込んでみました風のアレンジや、ヴォーカルからコーラスからシンセから、全ての音に強烈に掛かったエフェクトは、おおむねねそのトレンドにのっとったもの。

まあ、要するに“やっつけ”なんだけどと、この曲が面白いのはそれが徹底されているところ。何よりも“いい歌”に価値を置くという文化的な風潮もあって、たとえ女優の片手間的なリリースであっても、どうにかして生身の歌を聴かせようという努力がオリコン・チャートの多くのケースで見られるのだけど、この曲にはそうした配慮はほぼない。むしろ声を一つの素材とみなし、その上からちょっと異常な歪み方をしたシンセを大胆に被せたり、バカバカしいほどに強烈にエフェクトを掛けたりしながら、プラスチックで、プラクティカルで、ちょっとスプラッタなポップスを作るという狙いに、何の躊躇もなく振り切っているようにすら見える。

「友達じゃない」という宣言から始まってそれをひっくり返すという技巧的な部分以上に実は内容の方がぶっ飛んでる、いしわたり淳二の歌詞も面白い。(単に労を避けたのかも知れないが)アウトロが短いのもパンキッシュで潔い。いま、“情”という概念から最も遠いポップ・ソングと言われたらコレだろう。曲の構造がもうちょっとフリーキーだったら、もっと面白かったかも。



2013/07/19

Love Is In The Air/AAA


キラキラ・ミュージカル・アイドル


ミュージカル音楽のようだ、というのが、本作のサビでフィーチャーされた男女混声のコーラス・パートを聴いたときの第一印象。そう、ほんとミュージカルみたい。やたらと技量が高い上に抑揚がハッキリしているため、時々その肉体感すら感じてしまう歌やラップも、ミュージカルの役者のそれとよく似ている気がする。歌にもダンスにも妥協しないというAAAというグループのコンセプト、彼らの所属レコード会社が持つ育成システム、そして何よりも彼ら自身の人並み外れた努力が、彼らにそうした個性を授けたのだろう。アイドルと呼ぶにはかなり異形に映らなくもないが、本来的な意味ではむしろこっちを指すのかも。

彼らの個性を踏まえてかは分からないが、本作はリリックもミュージカル的。大雑把に言えば、“夏と恋”というありがちなテーマを持つリリックなんだけど、主人公の1人称の視点から描かれる“ストーリー・テリング型”の歌詞ではなくて、複数の人物の視点が混在する“群像劇型”の歌詞になっているところが個性的と言えば個性的で、このグループの持ち味にハマってる。

ドッカン・ドッカン打ち鳴らされるハウスのビートや、幾重にも折り重なるシンセのメロディは、そうした群像劇の背景にある開放的なムードを表現しようとしたのだろう。特に、後半に進むにつれ盛り上がっていくシンセのメロディの抜き差しの細かさはなかなかに圧巻・・・なのだが、ヴォーカルを引き立てるためか、それぞれのメロディの分離がイマイチで団子状態に聴こえちゃうのはちょっと残念。実力も個性もあるパフォーマーが揃っているだけに、このあたりのプロダクションとのバランスについて最適値を探すのはなかなかしんどいだろうが、全部がばっちりキマッたときの爆発力もすごそう。




国道ポップス


AAAの37枚目のシングル『Love in The Air』。四つ打ちを基本としたミドルテンポの楽曲で、男女混合のメンバーそれぞれの特徴を生かすため、メロ、サビともに数種類のフレーズがあり、それが淀みなくつながっていく。全編に渡って非常に伸びやかなメロディーと、爽やかで耳障りのいい音作りが印象的。

そればかりを言い過ぎるのは一面的だけれども、AAAには「イニシャルD」の主題歌でデビューして以降、断続的なキーワードとして「車で流して映える音楽」というのがあるように思う。この曲に関しても、細かなプロダクションがメロディーに集中して、リズムはシンプルであり、先にも書いた通りまるでほかの何かを邪魔しないよう「聞き流しやすさ」に注意を払っているかのようだ。それは多分渋滞ばかりの都心ではなく、郊外の国道を気ままに走る風景だろう。(実際のコアなリスナーがどこにあるかは興味のあるところ)

嫌みのない音色、J-POPでは抜き出た歌唱力、男女混合ユニットでのダンス・パフォーマンスも含めた見せ方はどれをとっても完成度が高い。それが今の時代とどう接続できているかということについては少し難しいのかもしれないが、その接点があるとすれば「車」なのではないか。




2013/07/12

高嶺の花子さん/back number



ナイス他力本願


8枚目のシングル『高嶺の花子さん』をリリースした3人組のロック・バンドback number。9月には初の武道館ライブも控えているなど、2009年のミニ・アルバム発売から着実な人気を獲得してきた。

「高嶺の花子さん」はよもや40過ぎのおばちゃん的用法とも言ってしまっていいタイトルが非常に印象的。とはいうものの、緩やかなストリングスから始まり、爽やかなギターのアルペジオに絡み付くドラムのイントロ、シンプルだがキャッチーなボーカルで引っ張っていくAメロ・Bメロ、そこからさらに裏打ちで跳ねる楽曲に乗る一段とメロディアスな歌声、とこれぞJ-POPという完成度の高さ。(蔦屋好位置プロデュース。)ノイズっぽさは削ぎ落としシンプルに歌を聴かせるスタイルは以前から継続しており、歌の内容も同様に独特の凡庸でうだつの上がらない雰囲気が漂っている。


この「高嶺の花子さん」という曲も、高嶺の花な女性に憧れる主人公が色々な思いを巡らせるだけ巡らせて、「あるわけないか」と言って、特に思いを伝えるわけでもなく閉じてしまうような内容になっていて、「もうどうにでもなあれ」的な投げやりさがタイトルにつながっていると読むこともできる。今でこそ随分突き放して書けていても、どれだけ強く思っても上手く行くように思えなくて「夏の魔物に連れ去られ 僕のもとへ」と他力本願になってしまう感覚には身に覚えがあるような気がしてきて妄想する。Led Zeppelinにかぶれていた高校生の自分がこの曲を聴いても「J-POPはクソばっかりだけどこれはいい曲だわ」とか何とか言っていたはずだと。



冴えなくても夏休み


帰宅部ないし文化部。身長も別に高くないし、成績もパッとしない。で、色白。
本作の歌詞から浮かび上がってくるのは、どこの学校にもいる冴えない男子の姿だ。そんなヤツが“友達の友達”の、とびきり可愛い女の子に向ける想い——ひと夏の恋とすら呼べない未成熟な感情、夏という季節につきものの欲情の浮き沈み——を描いた一曲。

女の子のことで頭がいっぱい、つまらない劣等感ととりとめのない妄想に悶々とするA・Bメロから、「なんかよくわかんないけど俺のモノになってくれないかな〜」という都合よすぎな願望が、オクターブ・ベースに彩られたディスコ・ビートに乗せて一気に噴き出した、かと思いきや、最後には決まって“な、わけないよなあ・・・”というため息混じりのオチへと至るサビまで、ここで表現されているのは主人公の欲情が夏の暑さに煽られるように膨らんだり萎んだりするプロセスそのものだ。もちろん本人だって情けない自分に満足しているワケもなく、ヴォーカルには「高嶺の花子さん」を前に尻込みしてばっかりの自分への自虐的な苛立ちも表れている。

とは言え、全体の印象としてはウジウジもトゲトゲもしてない。むしろ爽やか。これにはイントロや間奏に特徴的な、いわゆるヨナ抜き音階による“ジブリ=日本の夏”っぽいメロディがもたらす涼しげな雰囲気の影響も大きい。そのサウンドからは、冴えない季節を通過した人間ならではの郷愁めいた目線も感じる。“意識高い”って言葉が揶揄になっちゃう世相を思えば、こういう音楽が広い支持を集めるのは当然なのかも。




2013/07/05

ゴールデンチャイナタウン/Berryz工房


バブリーチャイナタウンポップス


キャリアが10年を越えたハロプロのアイドル・グループBerryz工房のニュー・シングル『ゴールデン チャイナタウン』。そのタイトル通りの中国っぽいメロディーがアクセントになったポップス。

"チャイナタウン"と名を冠する曲は日本の歌謡曲/J-POPに連綿と続いている。その中身はそれぞれだけれども、この曲は「高層階から眺める夜空/星がきれいね  starlight」「甘い甘いチャイナタウン 金貨のプールで泳げば煌めく tonight」といった記号的なまでにバブリーな歌詞が全編に渡って展開していてチャイナタウンというかむしろ上海あたりのチャイナそのもの。景気のよさでは過去類をみないのではないかと。

チャイナと「〜しちゃいな」をかけるクリシェが控えめに何度か用いられているものの、全体としては遊びの少ない歌詞。それを数フレーズごとにシンプルに受け渡して歌う。曲はAメロと変則Aメロが繰り返されてサビ間奏という王道な作りで、イントロ間奏だけ拍子が変化するものの全体としては一貫した雰囲気で、5分半の曲としては淡白な印象。

つんくプロデュースの曲はこれに限らず、その時々の今っぽさからずれていることが特徴だとは思うけれども、この曲に関しては新鮮味のない場所へずれて、こじんまりとしてしまっていて、プラスに働いていない。他のユニットともどももっとはっちゃけるのを期待。


見栄っ張りなUED(歌モノ・エスノ・ディスコ)  


自身が本来得意としていたタイプの音楽を下地に、EDM以降のプロダクションを融合するというのが、ここ最近のつんくのモード。ざっくり言えば、ハロプロの本隊とも言えるモーニング娘。はそのベースにいわゆる歌謡曲が選ばれ、副隊であるBerryz工房の場合はちょいエスノなディスコ・ファンクがベースになっている。

もちろんどちらのグループも、歌モノであることに変わりはないが、それでも両者の差異は結構はっきりしている。前者の場合、あくまで楽曲の中心に歌と言葉にある。その結果、最新のシングルの「ブレインストーミング」のように、構造的にかなり入り組んだフリーキーな仕上がりになることも少なくない。それと比較すると、本作はEDMのスタイルを取り入れながらも、オリジナルのディスコ・ミュージックに寄っていて構造的にもシンプルだ。

そうしたトラックの上に乗っかるのは、意味やストーリーを語るのではなく、気だるく金満っぽいムードを醸し出す役割を果たすリリック。ゴールデンチャイナタウンという言葉がそのままタイトルになったもの、何らかのメッセージというよりは、その挑戦的な意味合いと、何よりも音の響きが気に入ったのだろう。

その結果浮かび上がってくるのは、ゴージャスで刹那的なポップスの意地というか、語弊を招く事を覚悟で言えば、見栄みたいなものだ。外国のやつらに負けてられへん!バチンとかましたる!そんな心意気も感じる。となると、(あまりのカットアップ感ゆえに半ばサイケデリックな領域まで踏み込みがちな)本隊との差別化のためにも、もっとオーセンティックな情念、ソウルを歌っても良い気がする。