2013/06/21

LOVE&GIRLS/少女時代




ポップ・オブ・ファストファッション・エイジ


二年前、友人から「少女時代とKARAは、日本で言ったらAKB48と東京女子流くらい知名度が違うのに、日本では並列に扱われてて興味深い」というような話を聞かされた。まあ、その話の真偽はともかく、AKBと少女時代という対比は面白いと思った。単純な比較で言えば、両者はむしろ差異の方が目立つかも知れないが、モータウンに代表される、いにしえのガールズ・ポップの参照という点では、たしかに共通点があると感じたからだ。

2010年の『Genie』以降、日本では7作目(本国では2007年以降、フィジカルでのシングル・リリースはしていない)となるこのシングル曲もまた、そうしたオールディーズの影響を感じさせるものであり、同時に決定的に違ってもいる。

例えばモータウンが、黒人社会に一旦は背を向け、白人社会、というかコスモポリタンな商業世界に向けられたものでありながら、リズムや歌唱の面にブラック・ミュージック的な訛りが残ることで、ある種の泥臭さというかド根性というか、つまりはソウルを感じさせたのに対して、本作にそうした要素は皆無だ。徹底的に揺れを排除したシャッフル・ビートに象徴的だが、それはピカピカに機械化され、ツルツルに漂白されたモータウン・ポップという感じだ。

もちろんこれは「ソウルがない!」という単純な話ではない。なかなか主音に帰らないメロディが示唆するように、これもまた帰るべき場所が見つけづらい時代のためのポップスなのだろう。それにしても「It's world wideな愛が鳴る地/降り出せ!」なんて、意味分かんないけど、ちょっとスゴい言葉だよな。


KかJか


はじめて少女時代を聴いたのは2010年だったと思う。友人の車に乗っているとカーオーディオからポップなクラブ音楽が流れてきて、しかもそれが韓国語で歌われていたので、最近のメジャーなクラブでは韓国語の歌ものまでかかってるのかと驚いていたら、その曲は少女時代という名前だけ知っていた韓国のアイドルグループでなおさら驚いた。

KARAとか同時期のK-POPに比べて、少女時代は韓国語の一音一音が跳ねるような小刻みなリズムで進んでいく歌が特徴的だ。日本語バージョンでは、言語が母音中心なのでもう仕方ないのだが、リズムがべたっとして歯切れが悪く、圧倒的に原曲が優れている。(一方KARAなんかは曲自体が完全にJ-POPなので韓国語で聴いてもそこまで違いはない)

そういうわけで今回の「Love & Girls」についても日本語バージョンではなく原曲を探していたのだが、一向に見つからない。そのあとでこの曲の原曲が日本語であることが分かった。アメリカの最新ポップスが韓国を通過して作られたようなトラックは今まで通り。こうしたトラックを韓国語同様のリズム感をもって日本語で歌いこなしていくスキルは日本での数年のキャリアを通して向上している。それはいい意味でも悪い意味でも「片言感とは異なる」日本語だ。つまり、日本語を外国語のように歌うということ。ただそれは実は、歌謡曲がJ-POPと名を変えてから連綿と日本人が取り組んできていることの一つでもある。そうしたことを彼女達がわざわざやるべきなのかどうか。アイドル戦国時代の蚊帳の外にある今こそ、韓国語のポップスとして勝負してくんないかなと期待している。