2013/07/12

高嶺の花子さん/back number



ナイス他力本願


8枚目のシングル『高嶺の花子さん』をリリースした3人組のロック・バンドback number。9月には初の武道館ライブも控えているなど、2009年のミニ・アルバム発売から着実な人気を獲得してきた。

「高嶺の花子さん」はよもや40過ぎのおばちゃん的用法とも言ってしまっていいタイトルが非常に印象的。とはいうものの、緩やかなストリングスから始まり、爽やかなギターのアルペジオに絡み付くドラムのイントロ、シンプルだがキャッチーなボーカルで引っ張っていくAメロ・Bメロ、そこからさらに裏打ちで跳ねる楽曲に乗る一段とメロディアスな歌声、とこれぞJ-POPという完成度の高さ。(蔦屋好位置プロデュース。)ノイズっぽさは削ぎ落としシンプルに歌を聴かせるスタイルは以前から継続しており、歌の内容も同様に独特の凡庸でうだつの上がらない雰囲気が漂っている。


この「高嶺の花子さん」という曲も、高嶺の花な女性に憧れる主人公が色々な思いを巡らせるだけ巡らせて、「あるわけないか」と言って、特に思いを伝えるわけでもなく閉じてしまうような内容になっていて、「もうどうにでもなあれ」的な投げやりさがタイトルにつながっていると読むこともできる。今でこそ随分突き放して書けていても、どれだけ強く思っても上手く行くように思えなくて「夏の魔物に連れ去られ 僕のもとへ」と他力本願になってしまう感覚には身に覚えがあるような気がしてきて妄想する。Led Zeppelinにかぶれていた高校生の自分がこの曲を聴いても「J-POPはクソばっかりだけどこれはいい曲だわ」とか何とか言っていたはずだと。



冴えなくても夏休み


帰宅部ないし文化部。身長も別に高くないし、成績もパッとしない。で、色白。
本作の歌詞から浮かび上がってくるのは、どこの学校にもいる冴えない男子の姿だ。そんなヤツが“友達の友達”の、とびきり可愛い女の子に向ける想い——ひと夏の恋とすら呼べない未成熟な感情、夏という季節につきものの欲情の浮き沈み——を描いた一曲。

女の子のことで頭がいっぱい、つまらない劣等感ととりとめのない妄想に悶々とするA・Bメロから、「なんかよくわかんないけど俺のモノになってくれないかな〜」という都合よすぎな願望が、オクターブ・ベースに彩られたディスコ・ビートに乗せて一気に噴き出した、かと思いきや、最後には決まって“な、わけないよなあ・・・”というため息混じりのオチへと至るサビまで、ここで表現されているのは主人公の欲情が夏の暑さに煽られるように膨らんだり萎んだりするプロセスそのものだ。もちろん本人だって情けない自分に満足しているワケもなく、ヴォーカルには「高嶺の花子さん」を前に尻込みしてばっかりの自分への自虐的な苛立ちも表れている。

とは言え、全体の印象としてはウジウジもトゲトゲもしてない。むしろ爽やか。これにはイントロや間奏に特徴的な、いわゆるヨナ抜き音階による“ジブリ=日本の夏”っぽいメロディがもたらす涼しげな雰囲気の影響も大きい。そのサウンドからは、冴えない季節を通過した人間ならではの郷愁めいた目線も感じる。“意識高い”って言葉が揶揄になっちゃう世相を思えば、こういう音楽が広い支持を集めるのは当然なのかも。