「結局は同じ場所」が教えてくれること
今は遠くへ行ってしまったかつての恋人。もはや次に会う保証さえないのに、その幸福を祈らずにはいられない。誰にでもそんな気分になる夜がある。本作の主人公もまたそうした夜を過ごす一人だ。
イントロから止むことのないシンセのリフが表現するのは、波のように繰り返し押し寄せる胸の疼きだ。その微かな痛みに耐えながらも、その感覚を何と呼ぶか逡巡して、男は呟く。
ラブソングって一体なんだろう?
コーラスがそうした心情の吐露であるとしたら、ERAのラップがフィーチャーされたヴァースは、主人公が彼女と過ごした記憶のフラッシュバックと言える。1つめのヴァースで、もはや恋人ではない彼女が遠くへ去っていく日の光景を、2つめのヴァースで時間はさらに逆行して、二人がまだ恋人として過ごしていたある夜の光景を、それぞれ描き出す。
(どこかの地点に存在するはずの、恋人関係を解消するという意味での別れの瞬間は、本作では描かれない。)
だが、そうやって記憶を巡っている間も<疼き>が止むことはない。シンコペイトするビートが記憶のデコボコを心地よくなぞっても、何か糸口が見つかることはない。ささやかな追憶の末、結局、主人公は現在 ――ふいに目が覚めてしまった深夜2時半のベッドルーム―― へと戻って来る。
本作は紛れもないラブソングだ。そしてここにあるのは、何も変えず・何も与えない愛だ。ただただそこにあって、時々その存在を主張するように微かに痛む。その痛みゆえに、ほんの束の間だけ人は祈るような気分になる。そうした経験を積み重ねることも、大人になるということの一部だと思う。
爽やかで甘いサウンド(ムード)の裏側で、ささやかな経験を積み重ね、人は確かに成長していくのだ。と本作は伝えている。